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ナイロビ再訪


 一九九一年一月一日から十三日間、ナイロビを夫と再び訪れた。フェアービユー・ホテルに滞在。町の中心から離れているので、タクシーを使う。木造の別棟の部屋で、バス、トイレは共同だ。夫はこういうホテルを好んで使う。

 この時郊外に行く半日ツアーに出かけた。ンゴング・ヒルの「アフリカの日々」の著者イザック・ディネーセンの住んでいた家が観光地に入っていた。家は特に広いと言うほどではないが、英国風の家だった。周りは境がない広さである。そこから少し離れた小高くなった所に彼女のボーイフレンドだったデニス・フィンチハットンが葬られている場所があった。

 ディネーセンはスウェーデン人で、結婚してケニヤで広大なコーヒー園を経営したが、火事で一切を失い、故郷に帰り、小説を書く。独特の主題の小説を何篇も発表する。「バペットの晩餐会」は映画にもなり、有名である。

 次にジラフ・センターに行く。キリンが放たれていた。そして一頭が私の方に向って近よってきた。その大きくてやさしい目に、思わず私も手を差しのべた。小屋のバルコニーから頭をなでることが出来たのだ。もう信じられない喜びであった。私はこんなにも動物が好きだったのかと、再確認した。

 別の日にマサイ・マラ国立公園に行く一泊ツアーに一人で参加した。シーズンも終った時期で、私たちのランドロバーはテキサスから来た牧師夫妻と三人だけだった。動物はそう多くは見られなかったが、私はもう十分見ていたので、満足した。ロッジでは一軒ずつ離れたとんがり屋根の小屋に泊まる。窓はガラスが一枚割れたままで、不安だったが何とか寝られた。そのロッジの食事とケーキはヒルトン・ホテルよりずっと美味しくて驚嘆した。食後にマサイのダンスがあったが、それは見たくも無いみじめな姿であった。

 ガイド兼運転手に最後に謝礼として五百シルを渡してくださいと、案内に書いてあったのに、私はボーツとした頭で二十シルしか渡さず、ホテルで気づきエイジェントまで渡しに行った。

 夫はもう来ないからと、日本食レストランやお寿司を食べに行こうと気前が良い。エビも食べたが大味だった。お寿司は黒い手の人が握っていて、何だか奇異な感じだが、おおぶりだがまあまあだった。お魚はモンバサから氷づめで運んでくるから新鮮である。DHLで働いているNさんと婚約者がタイ料理を食べましょうと連れて行ってくれたが、こちらがご馳走するのである。これは美味しかった。一日、K夫妻にホテルで昼食をご馳走になった。Kさんは採鉱学科を出て、ケニヤで宝石を採掘しており、夫人はJICAの職員として、農村の台所の改善に努力している。

 私は何だか頭がふらふらしたので、夫より先に帰ることにした。この部屋は質素でよいのだが欠点も多い。まずお風呂が共同なのはとてもつらい。それに隣の部屋の人の声も聞える。また夫はいつも寝転んで本を読んでいて、私が横になりたくても二人でごろごろするのも見苦しいと思うからである。それだからと言ってずっと外のテラスにいるわけにもゆかない。愛犬バッポが待っている。町のセンターも歩くと遠いし、最近は非常に物騒で、特に日本人は白昼でも襲われると聞いているので、一人で出るのも怖いのである。

 中継のカラチのホテルもひどいものである。待ち時間にタクシーで町の近くに行き、カレー用にスパイス類を買ってきた。あとで安いのでもっと沢山買えば良かったと後悔している。
                         平成十五年十一月三十日

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