私は犬が非常に好きで、北鎌倉に住んだ十四年間、子供同様に愛したキャバリア犬のバッポと夫と暮らしていた。その犬も四年前に亡くなり、いつも思い出している。散歩中の犬にあうと声をかけたり、さわらせてもらったりしている。
この数年病気がちで、日に二度はべッドに横になる。その時、去年から頭に浮かん
だ気になることがあった。それは今まで見たシェイクスピア劇の映画の中に犬の姿は
出てこなかったのではないかという単純な疑問である。丁度、去年「福原麟太郎全集」の『随筆集』を読んでいて、確か「シェイクスピアは犬が嫌いだったのだろうか、あまりでてこないが……」という文章があったことを思い出した。
そこで、シェイクスピア全集の中から「犬」の単語が出てくる頻度を調べてみようと思い立った。と言っても最近目の病もあり、疲れるので、十五冊しか調べられなかった。本は小田島雄志訳・白水Uブックスを選んだ。とても読みやすい。
調べた本は以下である。
リア王、マクベス、十二夜、ロミオとジュリエット、ベニスの商人、恋の骨折り損、ハムレット、オセロ、リチャード三世、真夏の夜の夢、ジュリアス・シーザー、お気に召すまま、テンペスト、ヘンリー五世、終わりよければすべてよし。
犬という単語の総数は四五
内訳はリア王 十一、ロミオとジユリエット 四、ハムレット 一、リチヤード三世 三、真夏の夜の夢 六
犬の単語の種類
猟犬 十四、番犬 一、雑種犬 一、野良犬 十一、大犬 一、小犬一、駄犬 二、野犬 二、飼い犬 四、合いの子犬 二、名犬一、犬畜生 一、やくざ犬 一、百姓の犬 一、シェパード 一、グレーハウンド 一、スパニエル 一、むく犬 二、
前記の感じから見ると、どうも城内や家の中で飼っていた情景が見えない。だが、犬の種類を区別する台詞がある。『マクベス』 の中で、マクベスが話す。
「なるほど、帳面づらは男で通用するだろう、シェパード、グレーハウンド、スパニエル、野良犬、むく犬、合いの子犬、野良犬も駄犬も、すべて犬という名で通るからな。だが、値段表では区別してあるぞ、早いの、遅いの、敏捷なの、番犬むきに猟犬むきと、それぞれ豊かな自然に生きながら授かった素質があり、それに従って値段もちがえば、名称もちがうのだ、だからただ一様に書き並べた目録を見ただけではわかったことにならぬ。」
(第三幕第一場)
そこには三つの狩猟犬の名が出ている。それに値段表という言葉があり、売買していたことが分かる。ではこの種類は、手元の坪内逍遥訳ではどうかとみると、
「さうさ、名簿面では汝たちも人間だろう。猟犬でも、グレー・ハウンドでも、雑種犬(モングレ)でも、西斑犬(デミ・ウルフ)でも、野犬でも、むく犬でも、水犬(ウオーター・ラッグ)でも、半狼(デミ・ウルフ)でも、みんな犬といはれてゐるやうになぅ。」
となっている。二人が違うのは最初のシェパードと猟犬である。そこで英語では何かというと「hound」である。OEDによると 1. A dog, generally, 2. spec. A dog kept or used for the chase, usually one hunting by scent. となっている。両者はどちらにもとれる。犬に詳しい方によると、ハウンドはポインター・セッターのような狩猟犬のことだと言っている。
参考のために、シェパードはいつ頃から存在していたか『イヌの本』 (デビッド・
テイラー)をあたってみたが、ジャーマン・シェパードでしか出ていなかった。「こ
の品種の祖先については、依然として多少の議論はあるが、一八八〇年代にドイツで
確立したものと思われる。」とある。とするとシェイクスピアの時代では存在してい
ないことになる。シェパードはアルサシオンという名でも知られている。これまでに
発達したイヌの中で、もっとも万能な作業犬種である。これによると猟犬という用途ではなさそうである。『世界大百科事典』には「……嗅覚が鋭敏で、警戒心が強く、よく訓練にたえて捜査追跡の技術にすぐれているので、警察犬としては最適である。万能使役犬で、もともとはシェパード・ドツグ
shepherd dog という名のしめすように、牧羊犬であるが……」とある。
坪内氏は猟犬とし、小田島氏は追跡犬に重きを置いたと思われる。ベルジアン・シェパード・ドツグという名も『イヌの本』に出ている。これは二十世紀以前、ベルギーとその周辺地域で、羊の番犬として広く使われていた。
前記の本によると、「グレーハウンドの原産地は、おそらく中東と考えられ、最初のフェニキア商船にのってヨーロッパに渡ったらしい。グレーハウンドおよび小型種のイタリアン・グレーハウンドが、中世のヨーロッパでは、王族の愛玩犬となった。実際、グレーハウンドはもっとも一般的な紋章として使われ、フランスのシャルル五世やイギリスのヘンリー八世の紋章にも見いだすことができる。その際立った加速カを発揮してノウサギのような小獣狩りでも決してとり逃がしはしない。」と記載されている。
コッカー・スパニエルについては、「スパニエルは、おそらく(スペインの犬)を意味する古いフランス語(espaignol)の変形であろう。スパニエル種は、その名の示すとおり、十四世紀のスペインに元をさかのぼる。一六〇〇年代までに、西ヨーロッパでは、多くのスパニエル種が銃猟犬として使われ、十八世紀までにイギリスで二品種の改良に成功した。大きい方がスプリンガー・スパニエルで、もう一つがコッカー・スパニエルだった。今日、知られている品種は、十九世紀後半に固定され、一九三〇年代までに、イギリスでもっとも人気のある犬となった。この最も優れた銃猟犬は、ヤマシギ、ヤマウズラの猟鳥を飛び立たせて、水陸両方から回収することができる。」とある。
私の愛犬バッポもスパニエル種で、この種はチャールズ一世が愛したので、キン
グ・チャールズ・スパニエルとなり、後に余りにもひ弱であったために改良されてキャバリアの名が追加された。
犬のことを調べているときりがない。また二冊借りてきてしまった。
平成十六年六月十三日
これを書き終えて、翌日別の図書館から取り寄せてもらった『シェパード犬』(愛犬の友シリーズ)により、新しい資料を見つけた。「シェパード犬の起源が、有史時代前期の青銅犬に端を発していることは、幾多の書物に書かれていることでもあり、万人が承知のことでもある。中略。それはあくまで人を中心とした環境下においての「使役犬」であったことである。ドイツにおけるそれは″蓄群監視及び作物侵害防止″のための犬であったのである。」
しかし、シェパード犬に関する感動的な話を思い出した。ハプスブルグ家最後の皇女エリザベスは三頭の大きな立派なシェパードと暮らしており、「三頭は彼女を守るためにはいつでも命を捨てる忠実な下僕であった。」と塚本哲也著『エリザベート』に記されている。エリザベートの死の床では、三頭のシェパードが、エリザベートの遺体を守るようにしてじっと動かずに座っていた。そして主治医のシーレル博士は、生前エリザベートと次のような約束をしていた。「私が死んだら、どうかこのシェパードたちを死の旅路の道連れにして下さい。他の主人に飼われるのは忍びないのです。また他の誰も、私のようにこの犬たちを愛することはできないだろうと思います。」
参考にマクベスの犬の種類の部分を記しておく。"Ay, in the catalogue ye go for men,
As hounds and greyhounds, mongrels, spaniels, curs,
Shoughs, waterーrugs, and demi-wolves are clept
All by the name of dogs."
平成十六年六月十四日
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