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明月谷のおばさま


 私が北鎌倉の明月谷(めいげつやつ)で昔、お世話になったおばさまについて少し記します。その「おばさま」とは、ご近所でそう呼ばれていて慕われていた稲垣ヒデさんのことです。
 おばさまの家はわが家の丁度お向かいにあり、日当たりの良い南に面した広い縁側のある茶の間で、いつも掘りごたつに入り、端然と座っておられました。それは悟りを開いた尼さんという風情で、まるで山の音≠ナも聴いているかのようでした。こたつの上には、いつもお茶とお菓子の用意がしてあり、時にはお抹茶を点ててくださることもあり、ご近所の人は誰でも寄れる憩いの場所で、私はその常連の一人でした。「いつもお邪魔して」と恐縮すると、「わたしは人が来てくれるのが好きなの」とおっしゃっていました。
 なんでも、ご主人の親友が家をこの地に建てたので訪ねてきたとき、この山と緑を見ていっペんで気に入り、「自分たちもここに住もう」と目黒から移り住んだとのおばさまのお話でした。昭和三十九年のことで、その頃は明月谷の道は土のまま、水道もなく、水は近くの井戸から汲んでいたそうです。
 私が愛犬のバッポと散歩に出るとき、いつの頃からかその広い縁側に「おはようございます」と挨拶に寄るようになりました。夫が亡くなってからは、午後三時半になるとバッポが私をうながしておばさまのところに毎日お邪魔するようになってしまったのです。それも縁側からさっと飛び上がり、部屋から部屋、台所と一廻りしてうろつき、猫の「おかか」まで食べる始末。「すみません」という私に「いいんですよ、家には猫三匹もいるし、ワンちゃんも同じ」とにこにこと笑いながら許してくださるのでした。
 おばさまは寡黙な方でしたが、時おり問わず語りに身の上を話すことがありました。「秋田の山の出で、十人きょうだいの末っ子……」とぽつりぼつり。母親の乳が出ないので彼女だけご近所の石屋さんに預けられたと言う。そして遠くに視線を移すようにして「そのお陰でか、兄たちは皆早死にしたのに、わたしだけこんなに……」と、あとは語尾を飲み込みました。
 リウマチの持病で膝が悪く、その頃九十歳前で、二階のご長男の家族とご一緒にお暮らしでしたが、身の廻りのことはご自分でしていました。私が明月谷にいた十三年間、一回も愚痴を聞いた記憶はありません。一度亡きご主人のことを「うちのおじさんは何でも初めての事好き。飛行機も一番乗り、旅行にも良く出かけ、よくお金を使ったんですよ。それに大変おしゃれさんでした」と口をほころばせて話してくださったのが印象に残りました。
 今年の四月、おばさまは九十六歳で天寿を全うされました。葬儀の折、喪主のご長男は「母から私は一度も叱られたことはなかった。また母は動物が大変好きなので、肉類は一切口にしなかったのです」とのお話を聞き、真からお心根の優しい方だった、との思いを新たにしました。
 ご冥福を心から祈りつつ筆を擱きます。

                        平成十五年六月三十日

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