The World of Taijirou Ono 小野泰次郎の世界 Misato World  


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陽(シ)コあだネ村

――津軽半島袰月村で――

高木恭造


この村サ一度(イヅド)だて

陽(シ)コあだたごとあるガジャ


家(エ)の土台(ドデ)コアみんな潮虫(スオムシ)ネ噛(カ)まれでまてナ

後(ウスロ)ア塞(フサ)がた高(タ)ゲ山ネかて潰(ツブ)されで海サのめくるえンたでバナ

見ナガ

あの向(ムゲ)の陽(シ)コあだてる松前(マヅメ)の山コ

あの綺麗(キレ)だだ光(シカリ)コア一度(イヅド)だて

俺等(オランド)の村サあだたごとアあるカジャ

みんな貧ボ臭せくてナ

生臭せ体コしてナ

若者等(ワゲモノンド)アみんな他処(ホガ)サ逃げてまて

頭(アダマ)サ若布(ワガメ)コ生(オ)えだえンた爺媼(ジコババ)ばりウヂャウヂ゙ャてナ

ああ あの沖(オギ)バ跳(ハネ)る海豚(エルガ)だえンた倅(ヘガレンド)ア

何(ド)処サ行(エ)たやだバ

路傍(ケドバダ)ネ捨(ナゲ)られでらのアみんな昔(ムガス)の貝殻(ケカラ)だネ

魚(サガナ)の骨(トゲ)コア腐たて一本(エツポ)の樹コネだてなるやだナ

朝(アサマ)も昼(スルマ)もたンだ濃霧(ガス)ばがりかがて

晩(バゲ)ネなれば沖(オギ)で亡者(モンジャ)泣いでセ











かくし


 お茶の水のカザルスホールで高木恭造の方言辞『陽(シ)コあだネ村』を「独演」したことがある。合唱組曲『津軽まんだら』(片岡良和作曲)、「東京カンマーコーワ」のコーラスがバックだった。

 何をかくそう、これを再演≠オたことがある。いや、ある酒ありの会合で、オーバーを裏返しにし、ポケットすなわち「かくし」をすべてあらわにし、これを老漁師のボロ半てんに見立てて演ったのである。ま、かくし芸の披露であった。

 カツラのことをいうにこと欠いて「かくし毛」といった人がいる。しっかり中年男になったころのことだが、まじまじとこちらの頭を見やった老母から、「ワイーッ、その頭、カツラかぶったらどんだの!?」といわれたことがある。
そのとき生返事も落涙もしなかった筆者の脳中に一条のジョークがわいたのである――「カツラははげをかくし、はげにかかわるコンプレックスをあらわにする」である。

 人は何をかくし、何をあらわにするか? そのかくし方、あらわし方がその人の個性であり、人間そのものではあるまいか、とちと大仰ながら思うのである。

 例えば衣服。これは防暑・防寒の必要をはるかに超えた、「かくし」と「あらわし」の両面にまたがる「文化グッズ」というべきものにほかなるまい。拙著のどこかに「金塊は容れ物を問わない、花嫁衣裳は中身を問わない」と書いたのは、いささかこの機微にかかわっている。

 また話がとぶようだが、突然スッポンボンになって街筋や人中を走り抜ける男がいる。女性を差別してはいけない、女性もいる。ストリーカーである。以下は本稿のかくし玉のつもりのものである。タイトルは「奇行」である。
「ヌーディスト村でパンツをはいて歩きまわれば奇行である。走りまわればストリーカーである」である。

 芸術家とは、多分ながら世の承認を得た、人がかくさんとするものをかえってあらわにせんとする、一種のストリーカーである。

 以上、本日この場だけの開陳(かいちん)である。

(毎週金曜日、東奥日報の連載コラム no.67)







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